男性囚人をも震え上がらせた、ナチスの凶暴な女性看守たち

第二次世界大戦下のナチス・ドイツにおいて、数多くの悲劇が生み出された強制収容所。そこでは男性看守だけでなく、数千人もの女性看守たちが囚人たちの監視や労働の監督に従事していた。彼女たちの中には、屈強な男性囚人たちでさえ恐怖に震え上がらせるほど、苛烈で残虐な振る舞いに及んだ者も少なくなかった。なぜごく普通の生活を送っていた女性たちが、冷酷な加害者となってしまったのだろうか? 収容所の過酷な実態と女性看守たちの軌跡を紐解く。

強制収容所に女性看守が動員された歴史的背景

ナチス体制下の強制収容所において、初期の看守組織は親衛隊(SS)の男性隊員によって独占されていた。しかし、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、戦況の拡大に伴って男性要員が次々と前線へ動員され、国内の軍需産業や収容所管理における深刻な労働力不足が生じることになった。

こうした事態を打開するため、ナチス当局は女性の活用に踏み切る。1942年以降、ラーフェンスブリュック女性強制収容所などを主要な訓練所として、女性看守(女性補助員)の養成が本格化した。

彼女たちはいわゆる親衛隊の正式な隊員ではなく、雇用契約に基づく民間人補助員という立場であった。募集に際しては「高給」「安定した住居」「清潔な制服」といった好条件が提示され、失業者や低賃金労働に従事していた一般の若い女性たちが、新たな働き口を求めて応募したのである。

男性囚人をも恐怖させた悪名高い女性看守たちの実態

収容所へ配属された女性看守たちの中には、男性看守に勝るとも劣らない残虐性を見せつけ、屈強な男性囚人たちをも絶望的な恐怖に陥れた者たちがいた。

代表的な人物として知られるのが、「美しい野獣」と恐れられたイルマ・グレーゼだ。アウシュヴィッツやベルゲン・ベルゼンで勤務した彼女は、わずか20代前半の若さでありながら、ピストルや革の鞭を手に収容所内を闊歩した。囚人を気まぐれに激しく打ち据え、空腹の大型犬をけしかけて引き裂かせるなど、その冷酷非道な振る舞いは収容所全体を震え上がらせた。男性囚人たちも、彼女の姿を遠目に見るだけで青ざめたと伝えられている。

また、マイダネク強制収容所などで監視員を務めたヘルミーネ・ブラウンシュタイナーは、頑丈な鉄の鋲が打ち込まれた軍用ブーツで囚人を容赦なく踏みつけたことから、「踏みつけの牝馬」という恐ろしい異名で呼ばれた。彼女はわずかな作業の遅れや些細な不服従を口実に、男性囚人を拳やブーツで情け容赦なく痛めつけ、ガス室への選別の場でも平然と命を奪っていった。

彼女たちの凶暴性は突発的な怒りによるものではなく、囚人たちの尊厳を根底から踏みにじる計画的な支配手段として日常的に振るわれていたのである。

なぜ普通の一般女性たちが残虐な加害者へと変貌したのか

収容所で悪名を馳せた女性看守たちの多くは、特別な狂気や異常な性格を生まれ持っていたわけではない。戦前はタイピスト、看護師見習い、工場労働者、家政婦といった職に就いていた、ごく平均的な市民であった。

彼女たちが冷酷な加害者へと急激に変貌した背景には、ナチズムによる徹底的な思想教育と特殊な集団心理が強く作用していた。訓練機関では、囚人たちを「社会の害虫」「劣等民族」とみなす徹底した非人間化教育が行われ、同情心を見せることは「弱さ」として厳しく処罰された。監視員として成果を上げ、組織内で認められるためには、情け容赦のない過酷な態度を誇示する必要があったのである。

さらに、絶対的な権力が与えられた閉鎖空間において、暴力が「日常の規律」として正当化される環境が、彼女たちの倫理観を麻痺させていった。普通の人々であっても、特定の制度やイデオロギーの下では誰でも残酷な行為に手を染めてしまうという、人間の脆さと心理的危うさを如実に物語っている。

戦後のニュルンベルク裁判と女性看守たちが迎えた結末

ナチス・ドイツの敗北によって強制収容所が解放されると、逃走を図った女性看守たちも次々と連合国軍によって拘留された。彼女たちはニュルンベルク裁判に連なる一連の戦犯裁判や、各国の法廷で人道に対する罪などを問われることになった。

法廷に立った彼女たちの多くは、「命令に従っただけ」「職務を遂行したにすぎない」と弁明し、自らの罪に対する反省や後悔を示すことはほとんどなかった。しかし、囚人たちの証言によって数々の残虐行為が白日の下に晒され、イルマ・グレーゼをはじめとする複数の悪質な女性看守には死刑判決が下され、処刑が執行された。

また、戦後何十年も偽名で市井に潜伏し、のちに身元が暴かれて法廷に引きずり出された者も存在する。女性看守たちが犯した暴虐の記憶は、人類が二度と繰り返してはならない歴史の闇として、今なお深く刻まれている。